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フィレンツェ - サンクトペテルブルク - 軽井沢

チャイコフスキーの弦楽アンサンブル曲と言えば、サイトウキネンや村上春樹を引き合いに出すまでもなく、「弦楽セレナーデ」Op.48が最も聴かれることの多い作品だと思う。それに対して「フィレンツェの思い出」Op.70はチャイコフスキー最晩年の作品で、作品の成熟度が聴く者を惹き付けて止まない弦楽六重奏曲だ。サンクトペテルブルク室内楽協会の依頼を受けたチャイコフスキーはこの作曲には苦労したようで、完成までに何年も要している。彼が集中して作曲に取りかかったのは1890年フィレンツェに滞在してオペラ「スペードの女王」に取り組んでいた頃で、第2楽章Adagio cantabile e con motoはイタリア的なモチーフを展開させたものとされる。この緩徐楽章は中間部の場面転換を経てチェロ1による旋律へと展開する構成が美しい。しかしイタリア由来の雰囲気はそこまでで、第3楽章Allegretto moderatoに入ると一転ヴィオラ1の主題から濃厚なスラブ色満載状態となる。そして最終楽章Allegro vivaceは疾走する旋律の中でバッハ風なモチーフのやり取りも垣間見られるのがまたユニークなフーガ的構造だ。最終的にこの第3、第4楽章は全面的な手直しにさらに1年を費やし、1892年の改訂版出版に至ったものだ。


オーケストラ演奏されることも多いこの曲だが、チャイコフスキーはオーケストレーションをコンパクトにまとめたシンフォニーのように聞かれることを好まず、「弦楽器6声が独立して且つ同時に等質となる対位法音楽」を強く意識していた。まさにこのUNAMAS録音は作曲家の意図を汲んでVn1/Vn2/Va1/Va2/Vc1/Vc2の各パートソロ構成とし、さらにコントラバスを加えて低音域補強を狙っている。室内楽的演奏の密度を活かしながら、音の厚みでも引けを取らない音楽を目指したものだ。

小編成ながらオーケストラによる弦楽アンサンブルの演奏例としては、ハイレゾ録音で定評のある2LレーベルからTrondheim Solisteneによる「Souvenir」というアルバムが出ており、聴き比べされるのも一興だと思う。六重奏の演奏例を映像込みで聴きたい向きにはJanine JansenとFriendsの演奏をYouTubeで見ることができ、参考資料にはなるだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=vulKECq4r60


今回の収録は2016年12月13/14日に軽井沢大賀ホールで行われた。UNAMAS Classicsシリーズがこのホールを録音拠点にしているのはそれ相応の理由がある。大賀ホールは客席数700規模の小ホールで、シューボックス型とは異なる五角形の形状から、どの客席からもステージが近くしかも概ね均一だ。そのメリットは音の粒立ちに如実に表れ、立ち上がりが鈍ることなく、くっきりと聞こえる。響き自体は豊かで、残響の減衰持続音が慎ましくも長めの存在を感じさせ、そのバランスが魅力となっている。演奏者にとっても気持ちの良い演奏ができるホールだと思う。

今回の収録プランはメイン5chのデジタルマイク(プラス0.1の補強)を円周形に演奏者が囲み、さらにサイド方向を狙う2本がステージ上に置かれ、これはDolby Atmos 7.1.4を想定したチャンネル用だ。アンビエント及び9ch mixのための高さ方向の4chは今回初めて2階席に設置された。響きの取り込みに関しては同じホールであってもいつも同じということはなく、アルバム毎に異なる狙いでチャレンジしているのがMickらしいスタイルと言えよう。


この作品のリリースフォーマットは今回も2chステレオ(MQAを含む)と5.1ch版になるのだが、僕はいつの日か9chミックス版が市場に登場することを夢見ており、それはMickも意識して制作面では9chの仕上げを続けている。Mickスタジオで試聴させてもらった9chミックスも含めての印象を述べさせていただくが、田尻・竹田コンビを中心にした弦楽合奏による「軽井沢シリーズ」第4作目となる今回のアルバムでは、特に上述した響きの面で低音域での豊かさ的なものがこれまで以上に現れており、これは距離差を持たせて2階に設置したハイトチャンネル用のマイクによる効果が大きかったようだ。また音の粒立ちがしっかりと表現されている点も含め、大賀ホールのやや高めに位置する客席を思い起こさせる響きとなっている。9.1ではその響きの三次元的な浮遊感が増量されると感じた。一方、楽器レイアウトは、サラウンド再生の場合、チェロが後方に回り込む(点定位的ではない)配置になり、聴き手は指揮者に近い位置関係という感覚で、ここはホールでの鑑賞再現とは異なる仕掛けだ。ホール的な響きの中で音楽に対してはいや増しに寄って行く距離感に身を置いている自分がいる。そしてその体験はめくるめく旋律の主導権がパート間で次々にリレーされていく第4楽章で充足感のピークに至る。


20170403