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Yuki Arimasa: Dimensions

記録媒体から楽器そのものをここまで彷彿とさせるピアノ録音は聴いたことがない。響きを通してその肌触りに触れるような感覚は視覚的でさえあると思った。特徴のひとつは音の純度のようなものだが、雑味がなく研ぎ澄まされた音の実在感に一種の衝撃を覚える。特にピアノが減衰していく微弱音のエンヴェロープが限りなく美しい。


録音に使用されたピアノはスタインウェイ・ハンブルク製の最高峰モデルD274で、かつてアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが来日した際に運び込まれ、キャンセル魔の名に恥じぬ彼が最後の公演を待たず帰国してしまい、招聘元が残されたピアノ(S/N #427700)を差し押さえた後に縁あって大賀ホールに寄贈されたという因縁深い楽器である。今回のレコーディングではピッチはユキ・アリマサ氏の指定によりクラシックに440Hzでチューニングされている。


そして演奏される楽曲はと言えば、バラード的にゆったりと聴ける作品が並ぶ。それぞれクラシックの名曲として知られる旋律をテーマに、即興変奏を展開させる興味深い構成で、ここはユキ・アリマサのジャンルを超えた才能を堪能いただきたい。


①はバッハの数あるカンタータの中でも有名な第147番「心と口と行いと生活で」から、コラール「主よ、人の望みの喜びよ」で合唱と併走する弦合奏のさざ波のような旋律をテーマにしている。






続く②③④の3曲はバッハの鍵盤練習曲集パルティータ全6曲から第2番のサラバンドがテーマとして使われている。パルティータは当時の様々なダンス音楽から着想した6-7曲をひとつの組曲としてまとめたもので、バッハのチェンバロ曲としては集大成と目される作品だ。サラバンドはやや重いリズム進行を特長とするもの。この3曲を通して最初のテーマに回帰するユキ流パルティータとして聴くのも一興だろう。








⑤は「ラモー讃歌」。ドビュッシーの作品「映像1」の3曲の中のひとつで、当時ドビュッシーは古典派の作曲語法やバロック作曲家、特にフランス・バロックの大家ラモーなどを意識するようになり、作品にもプレリュードやサラバンドなどのタイトルを付けている。そして今回のアルバムで最もユキの気合いが入っていると感じられるのがこの曲だ。冒頭はドビュッシーを想起させる分散和音から旋律の断片が少しずつ形を変えてテーマとしての姿を現し、さらにいくつもの展開を見せるこの曲はアルバム構成の中心的存在で、まさにユキからドビュッシーへのオマージュと言えよう。














⑥のテーマはベートーヴェンの最も美しいアダージォと言われる旋律である。ピアノソナタ「悲愴」の第2楽章アダージォ・カンタビーレから、穏やかなバラードだ。











最後に⑦では誰しも口ずさむことができるイングランド民謡「グリーンスリーブス」。このアルバムのアンコール・ピースのようにテーマの余韻を味わいながら聴き終えたい。






話を冒頭で述べた音の純度に戻すが、これについて沢口氏は恐らく電源による恩恵だろうと語った。軽井沢の大賀ホールでのこの録音セッションの全電源エネルギーは、可搬型バッテリーPower Yiile Plusから供給されており、わざわざこのセッションのために運び込まれたものだ。一般家庭でのピークシフトあるいは停電時非常用電力のための実用製品で、収録作業では7-8時間の稼働が賄える。もし再生する側も同様にバッテリー電源で聴けばもっと凄いことになるのかも知れないという期待も膨らむ。併せて特記しておくべきは不要振動対策だろう。ステージ周りのケーブル一本一本に至るまで、徹底的に振動を除去する周到ぶりは今やUNAMASスタイルとなっている。


この録音を最初に聴いたのは9chミックスだった。そこでの空間認識がまず基準として自分の耳と脳裏にセットされ、次に今回のリリースとなった5chファイナルミックスを自宅で聴いた。両者の違いは、ホール的な響きの支配度が薄れ、極めてシンプルなピアノとの対峙となるのが5ch版だ。ハイレゾ・ピュアオーディオの2chからいわゆるサラウンドの5chへ、さらに高みの9chへと再生環境を移行すると、聴き取る音感覚のファクターが音質という地平から確実に変質して行く。僕はそれを『音の佇まい』と形容するのだが、佇まいは直接音と間接音の関係性そのもので、楽器の直接音と同じところから間接音が聞こえても所詮実体感には繋がらない。5chでは間接音の存在が同じ量的バランスであってもベクトル的に遙かに大きな放射空間で発揮できる訳だから、その響きから楽器の佇まいを感じ取っていたとしたら、5chがシルキーでよりしなやかに聞こえる傾向にあっても不思議はない。本作品の5chミックスでは、わずか数m隔てた至近距離にピアノが置かれ、それを目の辺りに聴くというパースペクティヴが再現されており、スタインウェイらしい硬質な高音域の音色に、たっぷりと深い低音域が加わる。その深さは無理なところが微塵もなく楽器そのもののように自然だ。音の一粒一粒が高精細画像をクローズアップするかのような緻密さで現れ、しかもそれがさらに広大なホール空間の出来事であることも微かな反射音の精妙さの中にしっかりと刻み込まれている。ここで沢口氏の狙いは大賀ホールの響き全体を客席的に俯瞰することよりも、あくまでも楽器と聴き手の位置関係の構築に主眼を置いている。まさに聴き手にとっては至高の鑑賞条件だ。こうした音場の空間認識については、それぞれの再生環境によって濃淡があるので、是非とも5chでの鑑賞をお勧めするが、この音と響き自体が表現し得る優れた質感という特性は共通のものとして楽しんでいただけると思う。


20161225