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狭小シアターにAuro-3Dの未来を聴く -2


「サラウンドの巨匠」ミックが取り組むUNAMAS Classics

未だに現役バリバリの沢口真生さんは僕にとっては古き同志なので親交は続いているし、ここに来て始めた彼のクラシック録音挑戦には注目しないわけにはいかない。僕はグールドやガーディナーのようなやや挑戦的な雰囲気と共に躍動感をもって音楽を推進させるバロック演奏家に眼がないので、とりわけ最初のリリース、ヴィヴァルディの「四季」はクラシック録音の流儀を逸脱した感のあるレイアウトと空間表現に拍手喝采を送った。「Jazzyだね。世界に持ち出しなさいよ!」と。

続く第2弾の「フーガの技法」が6月(2015年)にリリースされ、これはストレートに5chの中に没入すべくミックスがなされているが、僕自身の興味はすでに次のステージである9.1をどう料理するのかに移っていたというのが正直なところだった。新しい再生環境を整えようと決意したのも、それを聴くことが大きな原動力のひとつとなったがしかし現実は厳しい。そもそも国内市場にはAuro-3Dのニーズがないとして、メーカーはAVアンプへの機能搭載に否定的だ。コンテンツ側にしても世界的にまだ2LとGALAXYくらいしかリリースはなく、沢口さんも取り敢えず9chミックスはヘッドフォン鑑賞へのたたみ込み版をリリースするという。そんな状況ならこの構想はしばらく先送りかなと思い始めた矢先に、ひょんなところから打開策が舞い込んできた。かつての同僚でMr. Pro Logicのニックネームを戴くロジャーがオレゴン山中のBentからもっと海寄りの街に引っ越すことにして、文字通り手塩にかけて作りあげた自作シアターも手放すことになったとの知らせ。ついては昨年末に購入したMarantz AV-7702プリは処分すると言う。「ちょっと待てよ、それ、オレに使わせてくれない?」とすかさず返事を送る。彼とはハイトチャンネルの話題などやり取りをしていたし、AV-7702は通常であればAuro-3D対応の機能追加をネットワーク経由で有償アップグレードしなければならないのだが、それもすでにインストール済みであることはこちらも承知しており、こうしてすべてが突如具体的に進行し始めた。


器はなにしろ狭小シアター

僕はマンションの中に防音構造のリスニングルームを構えているが、その空間はとにかく狭い。機材的に見てもマニアの路線とは縁遠く、一般ユーザーのスタンスで好きな音楽を若干はこだわりを持って聴ける空間が欲しいだけだ。最初は音楽鑑賞だけに絞るつもりでしか考えていなかったのが、紆余曲折あってプロジェクターを設置した。スチュワートの古いサウンド・スクリーンを変則的に無理強いで押し込んで、70インチ程度の画面サイズで鑑賞している。サブウーハーはと言えばスペース難からリビングルームでサイドテーブルと化して久しいし、センタースピーカーも持たない4.0再生だ。共にスペースもニーズもないからという割り切りだ。内装はSONAの施工で一新してもらい、傾向としてはデッドな仕上がりなのでシアター目的では許容できる環境だと思う。

そこにハイトスピーカー4本を追加しようというのだから、これは尋常ならざる環境変化で、再生チャンネル数は一気に倍増となる訳だし、スピーカーだって安易に奮発して新規購入とは行かない。なるべく小振りの製品が良いと思っているハイトスピーカーとしては実は手元に遊ばせているPMC TB1の5本セットがあって、希望よりやや大きい気がするのだが、天吊りではなく棚置きなら後方にはすでシェルフ金具があるし、前方の高い位置にも簡単な棚なら組めそうだ。と言うことで外観には目をつぶって、取り敢えず実験環境としての機能を整えることにした。

スピーカーの設置作業は比較的簡単に完了した。これまでAVアンプはソニーDA5300ESを使っていて、左右のメインスピーカーThiel CS2.3は別途マランツSM-17SA2台で駆動していた。マランツAVプリのAV-7702導入に伴い、メインL/R以外のスピーカー6本は7ch出力を持つDA5300ESのパワー段ですべて賄うことにして、アナログマルチ入力から駆動する。
ひたすら現行機材の有効利用でAuro-3Dの成果確認への道を「慎重に」一歩踏み出すという作戦だ。


Magnificat – マニフィカート

手元には3枚のAuro-3Dディスクがあった。ロジャーにもらった2014版デモディスク、残るは2L発売の「Souvenir」と「MAGNIFICAT」だ。デモディスクの内容には僕はあまり感心しなかったので、音楽に専念すべく宗教曲の合唱作品「MAGNIFICAT」を聴く。

ここで僕は一曲聞いただけで確信したのだが、9.1は5.1とは全く別物で、その違いは2.05.1の時もそうなのだが、5.19.1でも音のがなめらかさを増すようで、麻の肌触りがシルクになったような感覚と言えば良いだろうか。これをハイレゾと呼ばずして何と言う。

その違いをうまく説明できれば良いのだが、5.1の場合それを7.1に展開すれば水平面上での定位は改善されるが、音の存在感としてはあくまでも点定位的延長に留まるに対して、9.1では縦方向に次元の異なる空間軸が生まれ響きとしての存在感が強まるようだ。これは自分の背後空間に距離や高さといったスケール感が出現するのに貢献している。対する5.1でのホール再現性はと言えば、後方が点圧縮されていく狭さとして聞こえる。さらに5.1での音が点的であるためか、前方の音源に干渉するようで、その定位がややこちら側に浮遊してくるような印象があるのに対し、9.1の場合はその音が響き的であるため前方音源はしっかりと遠くに定位すると感じた。もちろんこれらの違いは関心のないリスナーにとっては「判らない」あるいは「どうでも良い」範疇の差でしかないということになるだろう。しかしそれでも我々当事者は「その差は微妙」などと軽々に発言しないでおこう。少なくともこのディスクを聴かせた2人の友人はその違いの大きさを認識していた。因みにこのディスクはグラミー賞の2016最優秀サラウンドサウンド録音部門でノミネートされ、改めて新しい時代を開く音だとの認識を新たにした。


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20161225